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EPISODE 24:世界を飛びまわって

1965年・・・この年、マリーはアメリカの三大アパレルメーカーのひとつピューリタンをはじめ同じくアメリカの最大チェーン店であるJ.C.ペニーやロンドンのジンジャー・グループなどのコレクションのため、年間なんと528ものデザインをこなしました。

マリーの「ミニ」がロンドンを飛び出し、海外でも熱狂的に歓迎されはじめたのは、アメリカでの成功が大きなきっかけでした。

世界のジャーナリストたちはミニスカートの驚異的な流行に2つの大きな社会的変化を見い出していました。

そのひとつは、ミニが「女性の生き方を変えた」、女性解放という一種の大革命とでも呼ぶべき社会変化の引き金になったことです。マリーはあるインタビューに「ファッションは社会の変化を予言することができる」、こう答えています。女性がライフスタイルに解放感を求めはじめた時期に、その欲求を充たしてくれるミニが出現した・・・以来、ミニスカートは女性解放の象徴のように語られるようになりました。

もうひとつの大きな変化は、ファッションがそれまでのように、オートクチュールからではなく、普通の女性たちが着る1枚のドレスから生まれるようになったこと。

マリーのファッションは「若さ」や「新しさ」は言うまでもなく、既製服王国アメリカのノウハウを得て、全ての人が着ることのできる大量生産可能なスタイルとして1つの時代を築いたといっても過言ではありません。

ほんの一握りの裕福な人たちがファッションを享受し、大衆がそのおこぼれにあずかっていた時代は、こうしてマリーの出現と共に幕を下ろすことになったのです。

マリーと夫であるアレキサンダーは、それこそ世界を股にかけて飛び回りました。

22才の時、サンモリッツでのショーのため、初めて海外に出かけたとき、あれほどドギマギした「税関」での手続きすら、今や顔パス・・・。それほど頻繁に旅をしました。それだけでも充分と言えたかも知れません。でもマリーたちの飛躍はさらに続きました。

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